定義1: 自己原因
自己原因とは、その本質が存在を含むもの、すなわちその本性が存在するものとしてでなければ考えられないもの、と解する。
定義2: 種における有限
同種の他のものによって限界づけられうるとき、そのものは自らの種において有限であるという。例えば物体は、常により大きな物体を考えうるがゆえに有限である。思考もまた別の思考によって限界づけられるが、物体は思考によって、思考は物体によって限界づけられない。
定義3: 実体
実体とは、それ自身のうちに存在し、それ自身によって考えられるもの――概念を形成するために他のものの概念を必要としないもの、と解する。
定義4: 属性
属性とは、知性が実体について、あたかもその本質を構成するものとして知覚するもの、と解する。
定義5: 様態
様態とは実体の変様、すなわち他のもの(実体)のうちにあり、それを通して考えられるもの、と解する。
定義6: 神
神とは絶対に無限な存在者、すなわち各々が永遠・無限な本質を表現する無限に多くの属性からなる実体、と解する。
注記: ここでの「絶対に無限」は「その種において無限であること」とは異なる。ある種において無限であるにすぎないものについては無限の属性を否定しうるが、絶対に無限であるものの本質には、本質を表現し何ら否定を含まぬものすべてが属する。
定義7: 自由・必然・強制
自らの本性の必然性のみによって存在し、自らのみによって行動へと決定されるものを自由という。他のものによって一定の仕方で存在・行動へと決定されるものを、必然的、あるいはむしろ強制されたものという。
定義8: 永遠性
永遠性とは、あるものの定義のみから必然的に帰結すると考えられる限りでの、その存在それ自体、と解する。
公理1: 自体的存在または他者依存的存在
存在するものはすべて、それ自身のうちにあるか、他のもののうちにあるかである。
公理2: 他により考えられぬものは自体的に考えられる
他のものによって考えられえないものは、それ自身によって考えられなければならない。
公理3: 原因と結果の必然的連関
一定の原因が与えられれば、そこから必然的に結果が生じる。逆に一定の原因が与えられなければ、結果が生じることは不可能である。
公理4: 結果の認識は原因の認識に依存する
結果の認識は原因の認識に依存し、それを含む。
公理5: 共通性なきものは相互に考えられない
互いに何ら共通するものを持たないものは、互いによって考えられることもできない。すなわち一方の概念は他方の概念を含まない。
公理6: 真の観念と対象の一致
真の観念は、それが表す対象と一致しなければならない。
公理7: 非存在として考えうるものの本質は存在を含まない
あるものが存在しないものとして考えられうるならば、その本質は存在を含まない。
命題1: 実体は変様に先立つ
実体は、その変様よりも本性上先である。
証明1
実体の定義(定義3)と様態の定義(定義5)から直接に明らかである。
命題2: 異なる属性を持つ実体に共通点はない
異なる属性を持つ2つの実体は、互いに何も共通するものを持たない。
命題3: 共通点なきものは互いに原因たりえない
互いに何も共通するものを持たないものは、一方が他方の原因ではありえない。
証明3
互いに共通するものを持たなければ(公理5)互いによって理解されえず、したがって(公理4)一方は他方の原因ではありえない。
命題4: ものの区別は属性か変様の相違による
区別される2つ、あるいはそれ以上のものは、実体の属性の相違によって、あるいはその変様の相違によって、互いに区別される。
証明4
存在するものはすべてそれ自身のうちにあるか他のもののうちにあるかであり(公理1)、すなわち(定義3・5により)知性の外には実体とその変様以外に何もない。ゆえに知性の外で複数のものを区別しうるものは、実体、あるいは同じことだが(定義4により)その属性と変様以外にない。
命題5: 同一属性の実体は唯一
自然のうちには、同じ本性ないし属性を持つ2つ以上の実体は存在しえない。
証明5
もし複数の異なる実体が存在するなら、それらは属性の相違によって、あるいは変様の相違によって互いに区別されねばならない(前命題)。属性の相違のみによるなら、同じ属性を持つ実体は1つしかないことになる。変様の相違によるとすれば、実体は変様よりも本性上先であるから(命題1)、変様を捨象してそれ自体で――すなわち真に(定義3・公理6により)――考察すれば、他の実体から区別されえない(前命題)。ゆえに複数は存在しえず、ただ1つのみが存在する。
命題6: 実体は他の実体から産出されえない
一つの実体は他の実体から産出されえない。
証明6
自然のうちには同じ属性を持つ2つの実体は存在しえない(前命題)、すなわち(命題2により)互いに何も共通するものを持たない実体は存在しえない。したがって(命題3により)一方は他方の原因ではありえない、すなわち一方は他方から産出されえない。
系(命題6): 実体はいかなるものによっても産出されえない
自然のうちには実体とその変様以外に何もないから(公理1、定義3・5により明らか)、実体は実体によって産出されえない(前命題)。ゆえに実体は端的に他のものによって産出されえない。
さらに背理法によっても示される: もし実体が他のものによって産出されうるなら、その認識は原因の認識に依存せねばならない(公理4)が、それは実体の定義(定義3、それ自身によって考えられるもの)に反する。
命題7: 実体の本性には存在することが属する
実体の本性には、存在することが属する。
証明7
実体は他のものによって産出されえないから(前命題の系)、実体は自己原因である。すなわち(定義1により)実体の本質は必然的に存在を含む、言い換えれば実体の本性には存在することが属する。
命題8: すべての実体は必然的に無限である
すべての実体は必然的に無限である。
証明8
ある属性を持つ実体はただ1つしか存在せず(命題5)、かつその本性には存在することが属する(命題7)。ゆえにその本性からして、有限であるか無限であるかのいずれかである。だが有限ではありえない。なぜなら(定義2により)有限であれば同じ本性を持つ他の実体によって限界づけられねばならず、その実体もまた必然的に存在せねばならない(命題7)が、そうすると同じ属性を持つ2つの実体が存在することになり、これは不合理である(命題5)。ゆえに無限に存在する。
命題9: 実在性が多いほど属性も多い
あるものがより多くの実在性ないし存在を持つほど、それだけ多くの属性がそれに属する。
証明9
属性の定義(定義4)から明らかである。
命題10: 実体の属性はそれ自身によって考えられる
一つの実体のどの属性も、それ自身によって考えられねばならない。
証明10
属性とは知性が実体についてその本質を構成するものとして知覚するものであるから(定義4)、それゆえ(定義3により)それ自身によって考えられねばならない。
命題11: 神は必然的に存在する
神、すなわち各々が永遠・無限な本質を表現する無限に多くの属性からなる実体は、必然的に存在する。
証明11(第1)
もし神が存在しないと考えるならば(公理7により)神の本質は存在を含まないことになる。だがこれは(命題7により)不合理である。ゆえに神は必然的に存在する。
証明11(第2)
あらゆるものには、存在する理由・原因、あるいは存在しない理由・原因のいずれかが与えられねばならない。神の存在を妨げる理由・原因は、神の本性の内にも外にも見出されえない(神以外の実体は神と何も共通するものを持たないから、命題2により、神の存在を左右できない)。ゆえに神の存在を妨げる理由・原因はどこにも存在せず、したがって神は必然的に存在する。
証明11(第3)
存在しえないことは無能力であり、存在しうることは能力である(自明)。もし現に必然的に存在するものが有限なものだけだとすれば、有限な存在者が絶対に無限な存在者よりも大きな力を持つことになるが、これは不合理である。ゆえに何も存在しないか、絶対に無限な存在者が必然的に存在するかのいずれかである。だが我々自身、あるいは必然的に存在する何かのうちに、我々は存在する(公理1、命題7)。ゆえに絶対に無限な存在者、すなわち(定義6により)神は必然的に存在する。
命題12: 実体の属性から分割可能性は帰結しない
実体のいかなる属性も、そこから実体が分割されうることが帰結するようには真に考えられえない。
証明12
もし実体がそのように分割されるとすれば、その部分は実体の本性を保持するか、しないかのいずれかである。保持するとすれば、(命題8により)各部分は無限であり、(命題6により)自己原因であり、(命題5により)互いに異なる属性から成らねばならないことになるが、そうすると一つの実体から複数の実体が構成されうることになり、これは(命題6により)不合理である。さらに部分は(命題2により)全体と何も共通するものを持たないことになり、全体は(定義4・命題10により)その部分なしに存在し考えられうることになるが、これも不合理である。保持しないとすれば、実体全体が等しい部分に分割されるとき実体の本性を失って存在をやめることになるが、これも(命題7により)不合理である。
命題13: 絶対に無限な実体は分割不可能である
絶対に無限な実体は分割不可能である。
証明13
もし分割可能だとすれば、その部分は絶対に無限な実体の本性を保持するか、しないかのいずれかである。保持するとすれば、同じ本性を持つ複数の実体が存在することになり、これは(命題5により)不合理である。保持しないとすれば、絶対に無限な実体が存在をやめうることになるが、これも(命題11により)不合理である。
さらにより単純には次のように理解される: 実体の本性は無限としてしか考えられえず、実体の「部分」ということで理解されうるものは有限な実体に他ならないが、それは(命題8により)明白な矛盾を含む。
命題14: 神の他に実体は存在せず考えられもしない
神の他には、いかなる実体も存在しえず、また考えられえない。
証明14
神は絶対に無限な存在者であり、実体の本質を表現するいかなる属性も神について否定されえず(定義6)、神は必然的に存在する(命題11)。もし神以外に何らかの実体が存在するとすれば、それは神のいずれかの属性によって説明されねばならなくなり、そうすると同じ属性を持つ2つの実体が存在することになるが、これは(命題5により)不合理である。ゆえに神の他にはいかなる実体も存在しえず、したがって考えられもしない。もし考えられうるとすれば、それは存在するものとして必然的に考えられねばならないことになるが、これはこの証明の前半により不合理である。
系1(命題14): 神は唯一である
したがって明らかに次のことが帰結する: 第一に、神は唯一である。すなわち(定義6により)自然のうちにはただ一つの実体しか存在せず、それは絶対に無限である(命題10の注解で既に示唆した通り)。
系2(命題14): 延長と思考は神の属性である
第二に、延長するものと思考するものは、神の属性であるか、あるいは(公理1により)神の属性の変様であるかのいずれかである、ということが帰結する。
命題15: 存在するものはすべて神のうちにある
存在するものはすべて神のうちにあり、神なしには何ものも存在せず、また考えられえない。
証明15
神の他にはいかなる実体も存在せず考えられもしない(命題14)、すなわち(定義3により)それ自体のうちに存在しそれ自体によって考えられるものは神の他にない。だが様態は(定義5により)実体なしには存在も考えられもしない。ゆえに様態は神の本性のうちにのみ存在し、神を通してのみ考えられうる。ところが実体と様態の他には何も存在しない(公理1)。ゆえに神なしには何ものも存在せず、また考えられえない。
命題16: 神の本性から無限に多くのものが必然的に流出する
神の本性の必然性からは、無限に多くのもの――知性がそのもとに捉えうるすべてのもの――が無限に多くの仕方で必然的に帰結せねばならない。
証明16
この命題は、あるものの定義が与えられれば、知性はそこからそのものの本質そのものに由来する多くの特性を導き出すこと、そして定義がより多くの実在性を表現するほど、より多くの特性が導き出されることに注意すれば、誰にでも明らかであるはずである。神の本性は絶対に無限に多くの属性を持ち(定義6)、その各々もまたその類において無限な本質を表現するのだから、神の本性の必然性からは、知性がそのもとに捉えうるすべてのものが、無限に多くの仕方で必然的に帰結せねばならない。
系1(命題16): 神はすべてのものの作用因である
したがって次のことが帰結する: 第一に、神は、知性がそのもとに捉えうるすべてのものの作用因である。
系2(命題16): 神はそれ自体によって原因である
第二に、神は、付帯的にではなく、それ自体によって原因である、ということが帰結する。
命題17: 神はその本性の法則のみに従って行動する
神は、自らの本性の法則のみに従って行動し、何ものにも強制されることなく行動する。
証明17
神の本性の必然性のみから、あるいは同じことだがその本性の法則のみから、無限に多くのものが絶対的に帰結することを、我々はたった今(命題16で)示した。また(命題15で)、神なしにはいかなるものも存在せず考えられえず、すべては神のうちにあることを証明した。ゆえに神の外には、神を行動へと決定し強制しうるものは何も存在しえない。したがって神は自らの本性の法則のみに従って行動し、何ものにも強制されずに行動する。
系1(命題17): 神を行動へ促す外的・内的原因はない
したがって次のことが帰結する: 第一に、神の本性の完全性以外に、神を外的にも内的にも行動へと促す原因は存在しない。
系2(命題17): 神のみが自由な原因である
第二に、神のみが自由な原因である、ということが帰結する。なぜなら神のみが、自らの本性の必然性のみによって存在し(命題11、系1の命題14により)、自らの本性の必然性のみによって行動する(前命題により)からである。したがって(定義7により)神のみが自由な原因である。
命題18: 神はすべてのものの内在的原因である
神は、すべてのものの内在的原因であり、外に出る(超越的な)原因ではない。
証明18
存在するものはすべて神のうちにあり神を通して考えられねばならない(命題15)。したがって(命題16の系1により)神は、神のうちにあるものの原因である――これが第一の点である。次に、神の外にはいかなる実体も存在しえない(命題14)、すなわち(定義3により)神の外にそれ自体で存在するものは存在しない――これが第二の点である。ゆえに神は、すべてのものの内在的原因であり、外に出る原因ではない。
命題19: 神、すなわち神のすべての属性は永遠である
神、すなわち神のすべての属性は永遠である。
証明19
神は(定義6により)実体であり、(命題11により)必然的に存在する、すなわち(命題7により)その本性には存在することが属する、言い換えればその定義から存在することが帰結する。ゆえに(定義8により)神は永遠である。次に神の属性とは(定義4により)神という実体の本質を表現するものであり、すなわち実体に属するものそのものを含んでいなければならない。ところが(命題7で示した通り)実体の本性には永遠性が属する。ゆえにどの属性も永遠性を含まねばならず、したがってすべての属性は永遠である。
命題20: 神の存在と本質は一つで同じものである
神の存在と神の本質は、一つで同じものである。
証明20
神とその全ての属性は永遠である(前命題)、すなわち(定義8により)その属性の各々は存在を表現する。ゆえに、(定義4により)神の永遠な本質を説明するその同じ属性が、同時に神の永遠な存在をも説明する。すなわち、神の本質を構成するものそのものが、同時に神の存在をも構成する。したがって神の存在と本質は一つで同じものである。
系(命題20): 神とその属性は不変である
神、すなわち神のすべての属性は不変である、ということが帰結する。なぜなら、もしそれらが存在の面で変化するとすれば、(前命題により)本質の面でも変化せねばならないことになるが、それは真から偽が生じることになり(自明のごとく)不合理だからである。
命題21: 属性の絶対的本性から帰結するものは永遠・無限
神のある属性の絶対的本性から帰結するものはすべて、常にかつ無限に存在しなければならなかった。すなわちその同じ属性を通して永遠かつ無限である。
証明21
神のある属性のうちに、その属性の絶対的本性の必然性から帰結する何か有限なもの――一定の存在・持続を持つもの――があると仮定する(例: 思考における神の観念)。だがその属性自体は(命題11により)本性上必然的に無限である。有限なものは(定義2により)同じ本性を持つ他のものによって限界づけられねばならないが、神の観念を構成する限りでの思考によっては限界づけられえず(それ自体が有限だから)、神の観念を構成しない限りでの思考によることになる。しかしそのような思考もまた(命題11により)必然的に存在せねばならないから、神の観念が必然的に帰結しないことになり、仮定に反する。ゆえに属性の絶対的本性から帰結するものは必然的に無限でなければならない――これが第一の点である。
同様に、そのようなものが限定された持続しか持たないと仮定すると、思考は神の属性である以上必然的かつ不変に存在せねばならない(命題11、命題20の系)から、神の観念の持続の限界を越えて神の観念なしに思考が存在することになり、これも仮定に反する。ゆえに属性の絶対的本性から必然的に帰結するものは、その同じ属性を通して永遠でなければならない――これが第二の点である。
命題22: 永遠・無限な変様から帰結するものも永遠・無限
神のある属性から、その属性を通して必然的かつ無限に存在するような変様によって変様された限りにおいて帰結するものはすべて、それもまた必然的かつ無限に存在しなければならない。
証明22
この命題の証明は、前命題(命題21)の証明と同じ仕方で進む。
命題23: 永遠・無限な様態の由来
必然的かつ無限に存在するあらゆる様態は、神のある属性の絶対的本性から、あるいは必然的かつ無限に存在する変様によって変様されたある属性から、必然的に帰結せねばならなかった。
証明23
様態は他のもの――それを通して考えられるもの――のうちにあるから(定義5)、すなわち(命題15により)神のうちにのみあり神を通してのみ考えられる。ゆえにもしある様態が必然的に存在しかつ無限であると考えられるなら、そのいずれもが神のある属性を通して――その属性が無限性と存在の必然性、すなわち(定義8と同じことだが)永遠性を表現する限りにおいて、すなわち(定義6・命題19により)絶対的に考察される限りにおいて――必然的に結論・知覚されねばならない。したがって必然的かつ無限に存在する様態は、神のある属性の絶対的本性から直接に(命題21)、あるいは必然的かつ無限に存在する何らかの変様を介して間接に(前命題)、帰結せねばならなかった。
命題24: 神によって産出されたものの本質は存在を含まない
神によって産出されたものの本質は、存在を含まない。
証明24
定義1から明らかである。すなわち、その本性(それ自体で考察された場合)が存在を含むものは自己原因であり、自らの本性の必然性のみから存在する。
系(命題24): 神はものの存在の原因である
したがって次のことが帰結する: 神は、もろもろのものが存在し始めることの原因であるだけでなく、それらが存在し続けることの原因でもある、すなわち(スコラの用語を用いれば)神はもろもろのものの存在の原因(causa essendi)である。なぜなら、ものが存在していようといまいと、それらの本質に注意を向けるたびに、我々はその本質が存在も持続も含まないことを見出すからである。したがってそれらの本質はそれ自身の存在の原因にも持続の原因にもなりえず、ただ神のみが――その本性にのみ存在することが属する神のみが(命題14の系1により)――それらの原因でありうる。
命題25: 神はものの本質の作用因でもある
神は、ものの存在の作用因であるだけでなく、その本質の作用因でもある。
証明25
もしこれを否定するなら、神はものの本質の原因ではないことになり、そうすると(公理4により)ものの本質は神なしに考えられうることになるが、これは(命題15により)不合理である。ゆえにものの本質もまた神が原因である。
なおこの命題は命題16からより明瞭に帰結する。命題16からは、神的本性が与えられれば、ものの本質も存在も必然的に導かれねばならないことが帰結するからであり、要するに、神が自己原因と言われるのと同じ意味において、神はすべてのものの原因とも言われねばならない、ということである。このことは次の系からさらに明らかになる。
系(命題25): 個々のものは神の属性の変様である
個々のものは、神の属性の変様、すなわち神の属性が一定の規定された仕方で表現される様態に他ならない。証明は命題15と定義5から明らかである。
命題26: 規定されたものは神によって規定される
何かを行うよう規定されたものは、必然的に神によって規定されたのである。そして神によって規定されなかったものは、自ら進んで行動へと自己を規定することはできない。
証明26
あるものが何かを行うよう規定されると言われるゆえんのものは、必然的に何か肯定的なものである(自明である)。ゆえにその本質・存在いずれについても、神はその本性の必然性のゆえに作用因である(命題25・16により)――これが第一の点である。またここから第二の点も明らかに帰結する。もし神によって規定されなかったものが自らを規定しうるとすれば、この命題の前半部分が偽になってしまい、それは不合理だからである。
命題27: 神により規定されたものは自らを無規定に戻せない
神によって何かを行うよう規定されたものは、自らを無規定な状態に戻すことはできない。
証明27
この命題は公理3から明らかである。
命題28: 有限なものは有限な原因の無限連鎖による
個々のもの、すなわち有限で限定された存在を持つあらゆるものは、それ自身もまた有限で限定された存在を持つ他の原因によって存在・活動へと規定されるのでなければ、存在することも活動へと規定されることもできない。そしてこの原因もまた、同様に有限で限定された存在を持つ別の原因によって規定されるのでなければ存在も活動もできず、これが無限に続いていく。
証明28
存在・活動へと規定されたものはすべて神によってそう規定されたのである(命題26、命題24の系)。ところが有限で限定された存在を持つものは、神のある属性の絶対的本性から産出されることはできない。なぜなら神のある属性の絶対的本性から帰結するものはすべて無限かつ永遠だからである(命題21)。したがってそれは、神、あるいは神のある属性が何らかの仕方で変様されている限りにおいて、神またはその属性から帰結せねばならなかった。なぜなら実体と様態の他には何も存在せず(公理1、定義3・5)、様態は神の属性の変様に他ならないからである(命題25の系)。しかし神、あるいは神のある属性が、永遠かつ無限な変様によって変様されている限りにおいて帰結することもできない(命題22)。ゆえにそれは、有限で限定された存在を持つ変様によって変様された神、あるいは神のある属性から、存在・活動へと規定されて帰結せねばならなかった――これが第一の点である。次に、この原因、すなわちこの様態もまた(第一の点を証明したのと同じ理由により)、同様に有限で限定された存在を持つ別の原因によって規定されねばならず、さらにこの原因もまた同じ理由により別の原因によって、と無限に続いていく。
系(命題28): 神は近接原因であり遠隔原因ではない
したがって次のことが帰結する: 第一に、神は、自らから直接に産出されたものの絶対的に近接する原因であり、いわゆる「その種における」近接原因ではない。というのも神の結果は、その原因なしには存在も考えられもしえないからである(命題15、命題24の系)。第二に、神は個々のものの遠隔の原因とは適切には言われえない。ただし、神から直接産出されたもの、すなわちその絶対的本性から帰結するものと、個々のものとを区別する目的でならその限りではない。というのも我々が遠隔原因と呼ぶのは、結果と何ら結びつきを持たない原因のことだからである。しかし存在するものはすべて神のうちにあり、神なしには存在も考えられもしないという仕方で神に依存している。
命題29: 自然のうちに偶然的なものは存在しない
自然のうちには偶然的なものは何ら存在せず、すべては神的本性の必然性によって、一定の仕方で存在し活動するよう規定されている。
証明29
存在するものはすべて神のうちにある(命題15)。だが神は偶然的なものとは言われえない。なぜなら神は(命題11により)必然的に、偶然的にではなく、存在するからである。さらに神的本性の変様もまた、必然的に、偶然的にではなく、神的本性から帰結する(命題16)。それも、神的本性が絶対的に考察される限りにおいて(命題21)であれ、一定の仕方で行動へと規定されて考察される限りにおいて(前命題)であれ、である。さらに神は、これらの変様が単純に存在する限りにおいてその原因であるだけでなく(命題24の系)、それらが何かを行うよう規定されて考察される限りにおいてもその原因である(命題26)。それゆえもし神によって規定されていないとすれば(同じ命題により)、それらが自らを規定することは不可能であって偶然ではなく、逆に(命題27により)神によって規定されているとすれば、それらが自らを無規定にすることも不可能であって偶然ではない。したがってすべては、単に存在することについてだけでなく、一定の仕方で存在し活動することについても、神的本性の必然性によって規定されており、偶然的なものは何も存在しない。
命題30: 知性は神の属性と変様のみを把握する
知性は、有限であれ無限であれ、神の属性と神の変様を把握せねばならず、それ以外の何ものも把握しない。
証明30
真の観念はその対象と一致せねばならない(公理6)、すなわち(自明のことだが)知性のうちに客観的に含まれるものは、必然的に自然のうちに与えられていなければならない。ところが自然のうちには(命題14の系1により)ただ一つの実体、すなわち神しか存在せず、神のうちにある変様の他にはいかなる変様も存在しない(命題15)。したがって知性は、有限であれ無限であれ、神の属性と神の変様を把握せねばならず、それ以外の何ものも把握しない。
命題31: 現実的な知性・意志は所産的自然に属する
現実的な知性は、有限であれ無限であれ、また意志・欲望・愛等々も、能産的自然にではなく、所産的自然に属さねばならない。
証明31
我々が知性というものによって理解するのは(自明のことだが)絶対的な思考ではなく、欲望・愛などとは異なる、思考する一定の様態のことである。ゆえに(定義5により)それは絶対的な思考を通して考えられねばならない、すなわち(命題15・定義6により)思考の永遠・無限な本質を表現する神の何らかの属性を通して、それなしには存在も考えられもしないような仕方で、考えられねばならない。したがって現実的な知性は、他の思考の諸様態と同様に、所産的自然に属さねばならず、能産的自然には属さない。
命題32: 意志は必然的な原因であり自由な原因ではない
意志は自由な原因とは呼ばれえず、ただ必然的な原因としてのみ呼ばれうる。
証明32
意志は知性と同様、思考する一定の様態にすぎない。したがって(命題28により)いかなる意志作用も、他の原因によって規定されるのでなければ存在も活動もできず、この原因もまた別の原因によって、と無限に続く。もし意志が無限であると想定されるなら、それもまた神によって、絶対に無限な実体としての神によってではなく、無限・永遠な思考の本質を表現する属性を有する神によって、存在・活動へと規定されねばならない(命題23)。したがって意志は、有限であれ無限であれ、いかなる仕方で考えられようとも、存在・活動へと規定される原因を必要とし、したがって(定義7により)自由な原因とは呼ばれえず、ただ必然的な、あるいは強制された原因としてのみ呼ばれうる。
系1(命題32): 神は意志の自由によって行動しない
したがって次のことが帰結する: 第一に、神は意志の自由によって行動するのではない。
系2(命題32): 意志は運動・静止と同じ仕方で神の本性に関わる
第二に、意志と知性は、運動と静止、そして総じてあらゆる自然物と同様の仕方で神の本性に関わる、ということが帰結する。これらはすべて(命題29により)神によって一定の仕方で存在し活動するよう規定されなければならない。というのも意志も、他のすべてのものと同様、存在・活動へと一定の仕方で規定される原因を必要とするからである。そして与えられた意志あるいは知性から無限に多くのものが帰結するとしても、そのことによって神が意志の自由によって行動すると言えるわけではない。運動と静止から無限に多くのものが帰結するからといって、神が運動と静止の自由によって行動すると言えないのと同様である。ゆえに意志は、他のあらゆる自然物と同様、神の本性に必然的に属するものではなく、運動と静止、その他神的本性の必然性から帰結し、それによって一定の仕方で存在し活動するよう規定されるすべてのものと、同じ仕方で神の本性に関わる。
命題33: ものは現にある仕方以外では産出されえなかった
ものは、現に産出された仕方・秩序以外のいかなる仕方・秩序によっても、神から産出されえなかった。
証明33
ものはすべて、与えられた神的本性から必然的に帰結し(命題16)、神的本性の必然性によって一定の仕方で存在し活動するよう規定されている(命題29)。したがってもしものが他の本性を持ちえた、あるいは他の仕方で活動へと規定されえたとすれば、自然の秩序も別のものでありえたことになり、そうすると神の本性もまた現にあるものとは別でありえたことになる。そうなると(命題11により)その別の本性を持つ神もまた存在せねばならないことになり、したがって二つ以上の神が存在しうることになるが、これは(命題14の系1により)不合理である。ゆえにものは、現に産出された仕方・秩序以外のいかなる仕方によっても神から産出されえなかった。
命題34: 神の力能は神の本質そのものである
神の力能は、神の本質そのものである。
証明34
神の本質そのものの必然性のみから、神は自己原因であり(命題11)、かつ(命題16とその系により)すべてのものの原因であることが帰結する。したがって、神自身とすべてのものがそれによって存在し活動するところの神の力能は、神の本質そのものである。
命題35: 神の力能のうちにあるものは必然的に存在する
我々が神の力能のうちにあると考えるものは何であれ、必然的に存在する。
証明35
神の力能のうちにあるものはすべて(前命題により)神の本質のうちに、それがそこから必然的に帰結するような仕方で含まれていなければならず、したがって必然的に存在する。
命題36: あらゆるものからは何らかの結果が帰結する
その本性から何らかの結果が帰結しないようなものは、何一つ存在しない。
証明36
存在するものはすべて、神の本性ないし本質を一定の規定された仕方で表現する(命題25の系により)。すなわち(命題34により)存在するものはすべて、あらゆるものの原因である神の力能を、一定の規定された仕方で表現する。したがって(命題16により)そこから何らかの結果が帰結せねばならない。