現象学

概要

意識に現れる事象そのものを、理論的な先入観を排して厳密に記述することを目指す哲学的方法。フッサールが「事象そのものへ」をスローガンに創始し、ハイデガーは人間の存在(現存在)が世界の内に投げ込まれた形で存在するあり方(世界内存在)の分析へと展開した。実存主義の哲学的源流の一つ。

詳細(学術的な解説)

「事象そのものへ」

フッサールは『論理学研究』において、論理法則の妥当性を人間の心理的な思考習慣に還元しようとする心理学主義を、論理の客観的な妥当性を心理的偶然性に解消してしまうものとして批判した。そのうえで、あらゆる理論的な先入観・既存の哲学的枠組みを排し、意識に現れる事象そのものをあるがままに厳密に記述することを哲学の出発点とすべきだと説いた。この方法的な態度を要約するのが「事象そのものへ」というスローガンである。

志向性とエポケー

フッサール現象学の中核概念は「志向性」——あらゆる意識作用は、必ず「何かについての」意識であるという構造(知覚は知覚されるものについての知覚であり、想起は想起されるものについての想起である)——である。自然的態度(世界がそこに実在するということを無反省に前提する日常的・自然科学的な構え)における存在措定(世界は実在する、という判断)を一旦「カッコに入れて」判断を保留すること(エポケー、判断中止)を通じて、意識に与えられる現象そのものの構造を主題とする現象学的還元が遂行される。この還元によって、純粋意識(超越論的主観性)の構造そのものを分析の対象とすることが可能になるとされた。

間主観性と生活世界

フッサールは後期の思索において、超越論的主観性がいかにして他者の存在、そして客観的な共同世界を構成するのかという間主観性の問題に取り組み、さらに『ヨーロッパ諸学問の危機と超越論的現象学』では、近代科学が数学的な自然の理念化によって覆い隠してしまった、われわれが日常的に生きている前理論的な経験の地平としての「生活世界」の概念を提示し、科学的合理性の基盤そのものを問い直した。

ハイデガーによる存在論的転回

ハイデガーはフッサールの現象学的方法(特に事象への直接的な記述という態度)を継承しつつ、その関心を意識の内在的構造の分析から、「存在するとはどういうことか」という存在の意味そのものを問う存在論へと転換した。『存在と時間』(1927年)では、存在の意味を問うことができる特権的な存在者としての人間の存在様式(現存在、ダーザイン)が、あらかじめ世界のうちに投げ込まれ(被投性)、日常的には道具的な事物・他者と没交渉的に関わりながら実存する「世界内存在」として分析され、良心の呼び声への応答と、死への先駆的な覚悟性を通じて本来的な実存へと立ち返る可能性が論じられた。

ノエシスとノエマ、そして本質直観

『イデーン』(1913年)でフッサールは、意識体験の構造を、対象へ向かう作用の側面(ノエシス)と、その作用において意味として構成された対象の側面(ノエマ)に分けて分析した。同じ一本の樹が、知覚され、想起され、想像されるとき、作用の様態は異なるがノエマ的な意味は同一でありうる——この区別により、実在するか否かを括弧に入れたまま、意味の構成そのものを主題化することが可能になる。

またフッサールは、個別の事例を想像のなかで自由に変形していき、それを欠くとその事物がその事物でなくなる不変の契機を取り出す手続き(自由変更による形相的還元)によって、経験的な一般化とは異なる仕方で本質を把握できるとした(本質直観)。現象学が経験科学ではなく厳密学であろうとしたのは、この本質把握の可能性に依拠している。

現象学的運動の広がり

現象学は単一の学説ではなく、フッサールの周辺に集まった多様な思想家たちの運動として展開した。マックス・シェーラーは価値の階層を情感的な直観によって捉える価値倫理学と共感の分析を、エディット・シュタインは感情移入(他者経験)の現象学を、ローマン・インガルデンは文学作品の存在論を展開した。フッサールの助手を務めたシュタインは後にカルメル会修道女となり、ユダヤ系であったためアウシュヴィッツで殺害されている。

フッサール自身も、ユダヤ系であることを理由にナチス政権下で大学から排除され、その膨大な速記草稿は、ベルギーの神父ヴァン・ブレダによってドイツ国外へ持ち出されて救出された。今日のフッサール全集はこの遺稿群に基づいている。

メルロ=ポンティの身体論

モーリス・メルロ=ポンティは『知覚の現象学』(1945年)で、フッサールの意識分析を身体の水準へと移した。世界と関わる主体は、まず何よりも「生きられた身体」であり、対象を主題的に意識する以前に、身体はすでに世界へ向かって方向づけられている(身体図式)。幻影肢や病理的事例の分析を通じて、彼は主観と客観、心と物という二分法そのものが、身体を通じた世界内存在という原初的な次元を取り逃がしていることを示した。この身体論は、後の認知科学におけるエナクティヴィズム(行為に基づく認知理論)に強い影響を与えている。

レヴィナスと他者の倫理

エマニュエル・レヴィナスは、フッサールとハイデガーを最初期にフランスへ紹介した人物でありながら、その存在論を根本から批判した。存在の理解を最優先するハイデガー的な哲学は、他者をも自己の理解の地平へ回収してしまう「全体性」の思考であり、そこには倫理の場がない。これに対しレヴィナスは、他者の「顔」——理解や把握を拒み、こちらの自由を根底から問いただすものとしての他者の現れ——との出会いにおいて、存在論に先立つ倫理が生じると論じた(『全体性と無限』1961年)。ホロコーストで家族の大半を失った経験が、この思索の背景にある。

実存主義・解釈学への展開

ハイデガーの存在論、とりわけ人間の実存を本質に先立つ企投的な自己形成として捉える視座はサルトルの実存主義(「実存は本質に先立つ」というテーゼ)に直接的な影響を与えた。また、ハイデガーの弟子ガダマーは、テクストの理解が解釈者自身の歴史的な先入見(地平)との融合を通じて成立するとする哲学的解釈学を展開し、リクールは象徴・物語・自己同一性を主題とする解釈学的現象学を構築するなど、現象学的方法は20世紀のフランス・ドイツ哲学の広範な潮流を生み出す源流の一つとなった。

隣接分野への応用

現象学は哲学の外部にも広く応用されてきた。精神医学ではヤスパース・ビンスワンガー・ブランケンブルクらが、患者の症状を客観的な兆候の集合としてではなく、その人が生きている世界の変容として記述する現象学的精神病理学を築いた。社会学ではアルフレート・シュッツが日常生活世界の構造を分析し、バーガーとルックマンの知識社会学、ガーフィンケルのエスノメソドロジーへと展開した。近年は看護学・教育学における質的研究の方法論としても定着し、また意識のハード・プロブレムをめぐる心の哲学において、一人称的な経験の記述を認知科学と接続する「神経現象学」の試みもなされている。

ハイデガーの政治的問題

ハイデガーが1933年にフライブルク大学総長としてナチスに公然と加担し、戦後もそれについて明確な反省の言葉を残さなかったことは、その思想の評価に消しがたい影を落としている。2014年以降に刊行された私的手記『黒ノート』に反ユダヤ主義的な記述が含まれていたことで、この問題は改めて大きな論争を呼んだ。彼の存在論そのものがナチズムと必然的に結びつくのか、それとも思想と個人の政治的選択は切り離せるのかは、今日なお決着していない。

日本での受容

日本の現象学受容は早く、田辺元・九鬼周造・三木清らが直接フッサールやハイデガーのもとで学んだ。西田幾多郎の「純粋経験」から始まる思索は、独立に出発しながら現象学と深く共鳴し、西田・田辺・西谷啓治らの京都学派は、東洋的な「無」の思想と西洋現象学との対話を試みた。九鬼周造の『「いき」の構造』は、江戸の美意識を現象学的な本質記述の手法で分析した試みとして知られる。

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代表人物

  • エトムント・フッサール創始者

    1859年 - 1938年

    19-20世紀のドイツの哲学者。「事象そのものへ」をスローガンに、意識に現れる事象を理論的な先入観を排して厳密に記述する現象学的方法を確立した。意識は常に何かについての意識(志向性)を持つとする志向性の分析を中心に据えた。

  • ハイデガー主要人物

    1889年 - 1976年

    20世紀ドイツの哲学者。フッサールの現象学的方法を継承しつつ、人間の存在(現存在)が世界の内に投げ込まれた形で存在するあり方(世界内存在)や、死への先駆的な覚悟性を分析する存在論へと展開し、後の実存主義に大きな影響を与えた。

代表書籍

  • イデーン1913年
  • 存在と時間1927年

他思想との関係

  • 実存主義と関連する

    ハイデガーの現象学的存在論(『存在と時間』)はサルトルら実存主義者に直接的な影響を与え、実存主義は現象学を哲学的源流の一つとする。

  • カント主義と関連する

    フッサールの現象学は、経験の可能性の条件を意識の側から批判的に探究するというカントの超越論的な問いの立て方を引き継ぎつつ、意識に現れる事象そのものの記述へと方法を展開した。