ニヒリズム
概要
客観的な意味・価値・道徳的真理は存在しない、あるいは伝統的にそれらの根拠とされてきたもの(神・理性・歴史の目的など)はもはや信じるに値しないとする立場。ニーチェは「神は死んだ」という言葉で、西洋文明を支えてきた価値の根拠が失われた近代の状況を診断し、その先に新たな価値創造の可能性を模索した。
詳細(学術的な解説)
ヤコービによる語の初出
「ニヒリズム」という語は、1799年にフリードリヒ・ハインリッヒ・ヤコービがフィヒテに宛てた公開書簡で初めて用いた。ヤコービは、フィヒテの知識学のような理性を絶対的な出発点とする体系哲学が、あらゆる客観的な実在性・超越的な意味の根拠を、自我による構成物へと蒸発させてしまう帰結(「ニヒリズム」)を批判的に指摘し、理性による体系的な論証の代わりに、直接的な信仰の飛躍(サルトゥス)によってのみ実在・神へと到達できると擁護した。この語はその後、ロシア文学(ツルゲーネフ『父と子』など)で既存の権威・伝統的価値を一切認めない急進的な立場を指す語としても広まった。
ニーチェによる診断
ニーチェは『愉しい学問』『ツァラトゥストラはこう語った』の「神は死んだ」という言葉で、キリスト教的な価値・道徳、さらにはプラトン以来の超感覚的なイデア・真理といった、西洋文明を支えてきた形而上学的な基盤全体が、近代の自然科学・批判的理性の発展によってもはや説得力を持たなくなった歴史的状況を診断した。ニーチェにとってこの「神の死」という出来事は、キリスト教道徳自身が育んできた誠実さ・真理への意志が、最終的にキリスト教の教義そのものを掘り崩すに至った、いわば自己破壊的な帰結として理解される。
力への意志と価値の再評価
ニーチェはこの状況を単なる喪失として嘆くのではなく、既存の価値の乗り越えの契機として積極的に捉え直した。とりわけ『道徳の系譜』では、弱者のルサンチマン(怨恨)から生まれ、力・卓越性そのものを「悪」とみなす「奴隷道徳」としてキリスト教道徳を批判し、生を肯定し力の拡大・卓越を志向する根源的な生命衝動としての「力への意志」に基づいて、既存の善悪の彼岸に立つ新たな価値の創造を構想した。
受動的ニヒリズムと能動的ニヒリズム
ニーチェは、既存の価値の崩壊を前にただ無気力・厭世的な諦念に陥る「受動的ニヒリズム」(弱さの徴候)と、既存の価値の崩壊を積極的に引き受け、自らそれを乗り越えて新たな価値創造へと向かう「能動的ニヒリズム」(強さの徴候)とを区別した。永劫回帰の思想実験——今この瞬間を含む自らの生が寸分違わず無限に繰り返されるとしても、それを重荷としてではなく喜びとして肯定できるか、という問い——は、この能動的な価値創造・生の全面的肯定(運命愛、アモール・ファティ)の試金石として提示される。
ロシア・ニヒリズム
哲学的な概念としてのニヒリズムとは別に、19世紀後半のロシアでは、既存の宗教・道徳・家族・国家の権威を一切認めず、自然科学的な実証性のみを認める青年層の思想的態度が「ニヒリズム」と呼ばれた。この語を広めたのはツルゲーネフの小説『父と子』(1862年)の主人公バザーロフである。チェルヌイシェフスキーらの合理主義的な変革論を経て、この潮流の一部はナロードニキ運動や「人民の意志」による皇帝暗殺(1881年)といった革命的テロリズムへと向かった。ドストエフスキーは『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』において、「神が存在しないなら、すべては許される」という命題が行き着く先を、キリーロフやイワンの造形を通じて描き出した。
ニヒリズムの類型
現代の議論では、ニヒリズムは幾つかの水準に区別される。道徳的ニヒリズム(客観的な道徳的事実は存在しないとする立場、メタ倫理学における錯誤理論に近い)、実存的ニヒリズム(人生に固有の意味や目的は存在しないとする立場)、認識論的ニヒリズム(客観的な知識は成立しないとする立場)、そして存在論的ニヒリズム(何ものも実在しないとする極端な立場)である。日常語としての「ニヒリズム」は主に二番目の実存的ニヒリズムを指すことが多いが、道徳の客観性を否定しても人生の意味を否定しないなど、これらは論理的には独立でありうる。
ハイデガーによるニーチェ解釈
ハイデガーは1930年代から40年代の講義で、ニーチェを西洋形而上学の完成者として読み直した。ハイデガーによれば、「力への意志」による価値の創造という処方箋そのものが、存在をなお「価値」として——すなわち人間が定立するものとして——捉える点で形而上学の枠内にとどまっており、ニヒリズムを克服するどころかその極限形態をなす。真の問題は、存在そのものが問われなくなったこと(存在忘却)であり、それは現代の技術が世界全体を計算可能な資源(用象)へと変えていく事態に現れている、というのがハイデガーの診断である。この解釈はニーチェ研究史上、最も影響力の大きい、そして最も論争的な読解の一つとなった。
実存主義・ポストモダン思想への影響
価値の客観的・超越的根拠の崩壊というニーチェの診断は、人間が自らの実存を通じて価値を創造せねばならないと説くサルトル・カミュら20世紀実存主義者の重要な出発点の一つとなった。カミュはとりわけ、意味の不在を認めた上でなお自殺も飛躍も選ばずに生き続けることは可能か、という問いを『シーシュポスの神話』の中心に据えた。
また、既存の形而上学的な二項対立・権力構造を系譜学的に解体しようとするフーコーの権力論、テクストの確定的な意味の脱構築を試みるデリダの方法、「大きな物語の終焉」をポストモダンの条件としたリオタールなど、20世紀後半のポスト構造主義の思想家たちにも、ニーチェの批判的な視座が広く継承された。
ニーチェ受容の歪曲と修正
ニーチェの死後、妹エリーザベト・フェルスター=ニーチェが遺稿を恣意的に編集して『力への意志』として刊行し、反ユダヤ主義的な文脈にニーチェを位置づけたことは、その後の受容に長く影を落とした。ナチスがニーチェを御用哲学者として利用したことで、戦後しばらくニーチェは危険な思想家と目されたが、20世紀後半のコリ=モンティナリによる批判的校訂版(歴史的批判版全集)の刊行と、カウフマンらの研究により、こうした歪曲は学問的に払拭された。ニーチェ自身は反ユダヤ主義とドイツ・ナショナリズムを繰り返し軽蔑しており、そのことは書簡において明白である。
現代における議論
分析哲学の領域でも、人生の意味をめぐる議論は活発である。トマス・ネーゲルは、自らの生を真剣に生きざるをえないという内側の視点と、宇宙的な尺度から見ればそれが取るに足らないという外側の視点との、解消不能な衝突として「不条理」を分析した。スーザン・ウルフは、主観的な充足と客観的な価値の双方が揃うところに意味が成立するという説を提示し、意味の問題を全面的な虚無か絶対的根拠かという二者択一から解放しようと試みている。
日本での受容
日本では明治末から大正期にかけて、高山樗牛がニーチェを紹介し、個人主義的な生の肯定として受容された。西谷啓治は『ニヒリズム』(1949年)で、ヨーロッパのニヒリズムを仏教の「空」の立場から乗り越えようと試み、京都学派における重要な仕事となった。文学の領域では、芥川龍之介の晩年の「ぼんやりした不安」から、戦後の坂口安吾『堕落論』に至るまで、既存の価値体系の崩壊という主題が繰り返し扱われている。
代表人物
- ニーチェ創始者
1844年 - 1900年
19世紀ドイツの哲学者。「神は死んだ」という言葉で、神・理性・歴史の目的など、西洋文明を支えてきた価値の客観的根拠が近代においてもはや信じるに値しなくなった状況(ニヒリズム)を診断し、その先にある能動的な価値創造(力への意志)の可能性を模索した。
- フリードリヒ・ハインリッヒ・ヤコービ批判者
1743年 - 1819年
18-19世紀ドイツの哲学者。フィヒテの知識学のような理性中心の体系哲学を、あらゆる客観的な実在性・意味を蒸発させてしまうものとして批判し、その帰結を指して「ニヒリズム(Nihilismus)」という語を初めて用いた(1799年、フィヒテ宛の公開書簡)。ニーチェによる能動的なニヒリズムの展開とは異なり、ヤコービ自身は理性の代わりに信仰の飛躍を擁護する立場を取った。
代表書籍
- ツァラトゥストラはこう言った(1883年)
- フィヒテへの公開書簡(1799年)