自由主義
概要
個人の生命・自由・財産への自然権を至高の価値とし、国家権力を制限しながら法の支配のもとで個人の自由な活動(市場経済を含む)を保障することを説く近代政治思想。ジョン・ロックらの社会契約論に起源を持つ。
詳細(学術的な解説)
社会契約論としての起源
ホッブズが、自然状態における「万人の万人に対する闘争」を回避するための絶対的主権への服従を説いたのに対し、ロックは『統治二論』において、生命・自由・財産への自然権が統治に先立って存在し、政府はそれを保護するために被治者の同意に基づいて成立するとした。統治者がこの信託に反して人々の権利を侵害する場合、被治者には抵抗権・革命権が認められる。この統治論が近代自由主義の理論的基礎となり、アメリカ独立宣言やフランス人権宣言にも大きな影響を与えた。
古典的自由主義の展開
アダム・スミスは『国富論』で、各人が自己利益を追求する市場活動が「見えざる手」に導かれて社会全体の富をもたらすと論じ、経済的自由放任(レッセフェール)を正当化した。ジョン・スチュアート・ミルは『自由論』において、他者に危害を加えない限り個人の行動に社会が介入すべきではないとする危害原理を定式化し、多数派の意見への同調圧力(「多数の専制」)から個性の伸長・思想の自由市場を擁護した。
消極的自由と積極的自由
アイザイア・バーリンは、他者からの干渉が存在しない状態としての「消極的自由」と、自己を主人として自らの目的を実現する能力としての「積極的自由」を区別した。バーリンは、積極的自由の理念が、真の自己実現のためだとして個人に特定の生き方を強制する全体主義的な統治を正当化する危険を孕むと警戒し、消極的自由の擁護に軸足を置いた。この区別は、その後の自由概念をめぐる議論全体の基本的な参照枠となった。
現代自由主義とロールズ的正義論
20世紀後半、ジョン・ロールズは『正義論』において、各人が自らの立場(才能・階級・性別など)を知らない「無知のヴェール」の下で選択するであろう原理として、基本的自由の平等な保障を最優先し、社会的・経済的不平等は最も不利な立場の人々の便益を最大化する場合にのみ正当化されるとする格差原理を導いた。これにより、国家権力の制限を強調する古典的自由主義から、実質的な機会の平等・再分配を志向する現代自由主義(福祉国家自由主義)への展開が理論的に基礎づけられた。
内部の対立軸
自由市場への国家介入を、人格の自己所有権の侵害として最小限にとどめるべきだとするリバタリアニズム(ノージックの『アナーキー・国家・ユートピア』)と、実質的な機会の平等のための再分配を正義の要請として正当化するロールズ的自由主義との間には、国家の役割の適正な範囲をめぐる大きな対立が今日まで続いている。
寛容と政教分離
自由主義の歴史的な出発点の一つは、宗教戦争の惨禍への応答としての寛容論にある。ロックは『寛容についての書簡』(1689年)で、魂の救済は内面の確信の問題であって外的な強制によっては達成できず、また国家の目的は現世の利益の保護に限られる以上、信仰への国家介入は原理的に正当化されないと論じた。ただしロック自身は、この寛容の範囲からカトリック(外国の権威に忠誠を負うとして)と無神論者(誓約が拘束力を持たないとして)を除外しており、寛容の限界という問題は当初から自由主義に内在している。
後期ロールズは『政治的リベラリズム』(1993年)で、この問題をより根本的に捉え直した。近代社会において、善き生についての包括的な教説(宗教的・哲学的・道徳的な世界観)が多元的に併存することは、抑圧的な国家権力によらない限り解消できない恒久的な条件(理にかなった多元性の事実)である。したがって政治的正義の原理は、特定の世界観に依拠せず、異なる教説を奉じる人々がそれぞれの立場から支持しうる「重なり合う合意」として構成されねばならない、というのがその主張である。
危害原理をめぐる論争
ミルの危害原理——他者への危害を防ぐ場合にのみ個人の自由への干渉が正当化される——は、その後の法哲学における主要な論争点となった。1950年代末のイギリスでは、同性愛行為の非犯罪化を勧告したウルフェンデン報告をめぐり、法哲学者H・L・A・ハートと裁判官パトリック・デヴリンが論争を交わした。デヴリンは、共有された道徳は社会を結びつける絆であり、その侵犯は社会そのものを解体させるがゆえに法が介入しうると主張した(リーガル・モラリズム)。これに対しハートはミルの立場を擁護し、単に多数派が不快と感じることは危害ではないと反論した。
自己加害の防止を理由とする干渉(パターナリズム)をどこまで認めるかも継続的な論点である。シートベルト着用義務やヘルメット義務、薬物規制などをめぐり、近年では、選択の自由を残しつつ望ましい行動へ誘導する「リバタリアン・パターナリズム」(ナッジ)が提唱される一方、それが人々の自律を巧妙に迂回するものだという批判もある。
批判
マルクス主義からは、形式的な権利の平等が資本主義における実質的な経済的不平等・階級支配を隠蔽するイデオロギーにすぎないという批判が寄せられてきた。共同体主義(コミュニタリアニズム)の側からは、マイケル・サンデルが、自由主義の前提する「負荷なき自己」——あらゆる共同体的紐帯・歴史的文脈から独立して自らの目的を選択する個人——という人間観そのものを批判し、チャールズ・テイラーは、自己の同一性が言語と共同体の地平のなかでのみ成立することを論じた。アラスデア・マッキンタイアは、共有された目的論を失った近代社会では道徳的議論が決着不能な感情の表明に堕すると論じている。
フェミニズムの一部からは、公私二元論——自由な選択の場としての公的領域と、規制の外に置かれる家庭という私的領域の分離——が家庭内の不平等と無償のケア労働を不可視化してきたという指摘がなされ、スーザン・オーキンは、ロールズの正義論が家族を正義の適用範囲外に置いている点を批判した。またポストコロニアルの立場からは、普遍的な人権を掲げた自由主義国家が現実には植民地支配を正当化してきた歴史(ミルが東インド会社に勤務し、「未開の社会」には専制的統治がふさわしいと述べたことは象徴的である)が問題化されている。
日本での受容
明治初期、中村正直の『自由之理』(1872年)と福沢諭吉の『学問のすゝめ』(1872-76年)が、個人の独立と自由という観念を広く普及させた。明治中期以降の自由民権運動は、天賦人権論を掲げて国会開設と憲法制定を求めたが、大日本帝国憲法下では臣民の権利が法律の留保のもとに置かれ、自由主義は制度的な基盤を持ちえなかった。大正デモクラシー期に吉野作造の民本主義として一定の展開を見せた後、昭和の戦時体制下では「自由主義者」が非国民視される時期を経て、戦後憲法によってようやく制度として定着した。日本語で「リベラル」という語が、経済的自由よりも護憲・人権擁護を指す政治的立場として用いられるのは、この歴史的経緯を反映している。
代表人物
- ジョン・ロック創始者
1632年 - 1704年
17世紀イギリスの哲学者。人は生まれながらに生命・自由・財産への自然権を持つとする社会契約論を展開し、政府はその権利を保護するために被治者の同意に基づいて成立するとした。近代自由主義の理論的基礎を築いた。
- ジョン・ロールズ主要人物
1921年 - 2002年
20世紀アメリカの政治哲学者。『正義論』で、自分がどのような社会的立場に置かれるか分からない「無知のヴェール」の下で人々が選ぶであろう原理として、基本的自由の平等な保障(自由の優先性)と、社会的・経済的不平等が最も不遇な人々の便益を最大化する場合にのみ正当化される(格差原理)とする「公正としての正義」を説き、現代の自由主義的政治哲学に大きな影響を与えた。
代表書籍
- 統治二論(1689年)
- 正義論(1971年)