道家思想
概要
人為的な規範や作為(人為)を離れ、あるがままの自然の道(タオ)に従って生きることを説く中国思想の一派。儒家思想の礼による秩序づけとしばしば対比される。
詳細(学術的な解説)
老子と『老子道徳経』
生没年不詳(伝説的には孔子と同時代とされる)の老子に帰せられる『老子道徳経』では、道(タオ)は言葉で名指すことのできない万物の根源であるとし、その冒頭で「道の道とすべきは常の道に非ず(言葉で説明できる道は真の道ではない)」と説く。人為的な規範を離れ、あるがままの自然の運行に従う「無為自然」の生き方が説かれ、統治についても、規制や介入を最小限にとどめる「無為の治」が理想とされた。柔弱なものが剛強なものに勝つという逆説的な価値転倒(柔弱謙下、水のように低きに就き争わないことの強さ)も老子思想の特徴である。
荘子による展開
戦国時代の荘子(生没年不詳、紀元前4世紀頃)は、あらゆる事物・価値判断は特定の視点(是非・彼此)に依存した相対的なものにすぎないとする「斉物論」を展開し、是非・生死・夢と現実(「胡蝶の夢」の寓話)といった対立を超えた境地(万物斉同)への到達を説いた。寓話・逆説・奇想を多用する文体は、論理的な論証を重ねる儒家・墨家の文体と対照的であり、後世の中国文学にも大きな影響を与えた。
宗教としての道教
哲学としての道家思想(老荘思想)とは別に、後漢末(2世紀)以降には太平道・五斗米道などの民衆宗教運動を母体として、不老長生・現世利益を求める民間信仰・儀礼体系としての道教(宗教道教)が形成された。道教は老荘思想の用語・概念を借用しつつも、煉丹術(不老不死の霊薬の精製)や符呪・道観における儀礼など、哲学的道家とは異なる実践体系を発展させた。両者はしばしば混同されるが、学術的には哲学的道家と宗教的道教は区別して論じられる。
儒家思想との緊張関係
人為的な礼による秩序づけを重んじる儒家思想に対し、道家思想はそうした人為そのものを「道」からの逸脱とみなす。両者はしばしば中国の知識人において対抗的でありながら補完的に併存し(「達すれば則ち兼ねて天下を善くし、窮すれば則ち独り其の身を善くす」という出処進退の使い分けにも表れる、「儒を以て世を治め、道を以て身を治む」)、対立と共存の両面を持つ関係にあった。
道・無・自然という概念
道家思想の鍵語である「道」は、儒家がそれを「人の踏み行うべき道理」として用いたのに対し、万物を生成し貫きながらそれ自体は名づけえない根源的な働きを指す。『老子』はこれを「無」とも呼ぶが、この無は単なる欠如ではなく、あらゆる有を可能にする空虚——車輪の中心の空洞、器の中の空間、部屋の戸窓の開口部があってはじめてそれらが役立つ——として説明される。「自然」もまた今日の nature(自然界)ではなく「おのずから然り」、すなわち外から強制されず、それ自体の内的な働きによってそうであることを意味する。「無為」とは何もしないことではなく、この「おのずから然り」を妨げる作為を加えないことを指す。
楊朱と『列子』——道家の周縁
道家に分類される思想家として、老子・荘子のほかに、自分の脛の毛一本を抜けば天下が救われるとしても抜かないと説いたと伝えられる楊朱がいる。孟子はこれを利己主義の極致として激しく批判したが、近年では、天下のために個人を犠牲にする論理そのものへの原理的な拒否、すなわち生命の尊重(貴生)を説く立場として再評価されている。また『列子』は後代の成立を含む文献ながら、寓話を通じて道家的世界観を伝える書として広く読まれてきた。
黄老思想と統治論
前漢初期には、老子の思想を伝説上の帝王・黄帝の名と結びつけた「黄老思想」が、秦の法家的な苛政への反動として国家の指導理念となった。文帝・景帝の治世に採られた、民の生活に極力干渉せず休養させるという統治方針(「与民休息」)は、無為の治の政治的な応用例とされ、その安定が後の武帝期の国力の基礎を築いたと評価される。ただし武帝が儒教を国教化して以降、道家は国家の統治理念の座を退いた。
儒家思想との緊張関係
人為的な礼による秩序づけを重んじる儒家思想に対し、道家思想はそうした人為そのものを「道」からの逸脱とみなす。『老子』が「大道廃れて仁義有り」(本来の道が失われたからこそ、仁義などという徳目をわざわざ唱えねばならなくなった)と述べるのは、儒家の徳目そのものを堕落の徴候とみなす痛烈な批判である。
両者はしばしば中国の知識人において対抗的でありながら補完的に併存した。官途にあって世を治めるときは儒家の規範に、退いて身を養うときは道家の境地に拠るという使い分け(「儒を以て世を治め、道を以て身を治む」)は、士大夫の精神生活の基本構造をなした。
魏晋の清談と文人文化への影響
後漢の崩壊後、儒教的秩序への信頼が揺らいだ魏晋の時代には、『老子』『荘子』『易経』を「三玄」として重んじ、その形而上学的な問題を論じ合う清談・玄学が知識人の間で流行した。竹林の七賢に象徴される、礼教の束縛を脱して自由に振る舞う生き方も、この時代の道家的な気風を示している。以後、陶淵明の隠逸詩、山水画における自然観、蘇軾ら宋代文人の芸術論に至るまで、道家思想は中国の文人文化の美意識を規定し続けた。
宗教としての道教
哲学としての道家思想(老荘思想)とは別に、後漢末(2世紀)以降には太平道・五斗米道などの民衆宗教運動を母体として、不老長生・現世利益を求める民間信仰・儀礼体系としての道教(宗教道教)が形成された。道教は老子を神格化(太上老君)し、老荘思想の用語・概念を借用しつつも、煉丹術(不老不死の霊薬の精製)や体内の気を練る内丹、符呪・道観における儀礼など、哲学的道家とは異なる実践体系を発展させた。両者はしばしば混同されるが、学術的には哲学的道家(道家)と宗教的道教(道教)は区別して論じられる。
仏教との融合
後漢末に中国へ伝来した仏教は、当初「格義」と呼ばれる、道家の語彙・概念を借りて仏教の概念を理解する方法を通じて受容された(例えば「空」を道家の「無」の語で説明するなど)。この融合の過程は、後に中国独自の仏教宗派として禅(中国では禅宗)を生み出す土壌の一つとなった。言語による把握を超えた境地を重んじる禅の姿勢には、「道の道とすべきは常の道に非ず」という『老子』冒頭の言語観との親近性が指摘される。
日本での受容と現代
日本には古代に道教の要素(庚申信仰、陰陽道の一部)が断片的に伝わったが、宗教としての道教が体系的に定着することはなかった。他方、老荘の書物は禅とともに広く読まれ、中世の隠遁思想(鴨長明・吉田兼好)や、江戸期の文人趣味、さらに近代では福永光司らの研究を通じて受容が深められた。20世紀後半以降は、人間中心の作為を退けて自然の運行に従うという発想が、環境思想・エコロジーの文脈から再評価されている。
代表人物
代表書籍
- 老子道徳経
- 荘子