アリストテレス主義
概要
行為の善悪を、個々の行為の規則適合性や結果ではなく、行為者の卓越した性格特性(徳)と、状況に応じて適切に判断する実践的知恵(フロネーシス)によって捉える倫理学説。人間に固有の理性的機能を十全に発揮する状態としての幸福(エウダイモニア)を目指し、超過と不足を避けた中庸を徳の指標とした。義務論(カント主義)・帰結主義(功利主義)と並ぶ規範倫理学の三つの立場の一つ。
詳細(学術的な解説)
エウダイモニアと機能論証
アリストテレスは『ニコマコス倫理学』冒頭で、あらゆる人間の活動が究極的に目指すものは幸福(エウダイモニア、より正確には「よく生きること」「よく為すこと」)であり、幸福はそれ自体のために求められ他の何ものかのための手段ではない究極善であるとした。そのうえで、人間に固有の機能(動植物と共有する栄養摂取・感覚の機能ではなく、理性に従う魂の活動)を卓越した仕方で、かつ十分な期間にわたって発揮することのうちに幸福があるとする「機能論証」を展開した。
徳と中庸
徳(アレテー、卓越性)とは、勇気が無謀と臆病という両極端の中間にあるように、感情・行為における超過と不足という両極端を避けた中庸(メソテース)の状態にある性格の安定した傾向性である。ただしこの中庸は算術的な平均(万人に同一の値)ではなく、行為者・状況に応じて相対的に定まる「われわれにとっての中間」であり、実践的知恵(フロネーシス)を備えた思慮深い人(フロニモス)の判断によってのみ見出されうる。
知性的徳と性格的徳
アリストテレスは徳を、反復的な行為の習慣づけ(エトス)によって形成される性格的徳(勇気・節制・気前のよさ・正義など)と、教育と時間の経過を通じて発展する知性的徳(普遍的真理を観照する学問的知恵ソフィアと、個別の行為状況における適切な判断を導く実践的知恵フロネーシス)とに区別した。とりわけフロネーシスは、普遍的な道徳規則の機械的な演繹的適用ではなく、目的(善く生きること)に照らして個別の状況における適切な手段・行為を見出す実践的な思慮として、徳倫理学の中核に位置づけられる。
友愛(フィリア)論
『ニコマコス倫理学』は全10巻のうち2巻を友愛(フィリア)の考察に割いている。アリストテレスは友愛を、快楽に基づく友愛、有用性に基づく友愛、相手の卓越性そのものを喜ぶ徳に基づく友愛(最高の友愛)の三種に分類し、卓越した人格を持つ者同士の友愛が、自己を映す「もう一人の自己」として自己認識・自己実現に不可欠であると論じた。この友愛論は、個人の内面的完成のみに閉じない、共同体的な人間観を徳倫理学に組み込んでいる。
中世からの継承と近代における後退
中世にはアヴェロエスら注釈者を経てトマス・アクィナスにより『神学大全』でキリスト教神学と統合され(自然法思想との結合)、アリストテレスの目的論的自然観・徳論はスコラ哲学の骨格をなした。近代以降は、機械論的自然観の台頭とともにアリストテレス的目的論が退けられ、行為そのものの規則適合性を問う義務論(カント)や行為の帰結を問う功利主義が規範倫理学の主流となり、徳倫理学は長らく後景に退いた。
アクラシア——意志の弱さ
「悪いと知りながらなぜそれを行ってしまうのか」という問いは、ソクラテスが「誰も自ら進んで悪を為さない」として意志の弱さの存在自体を否定したのに対し、アリストテレスが真正面から論じた主題である。彼は、行為者が普遍的な前提(甘いものは控えるべきだ)を知っていても、欲望の影響下で個別の小前提(目の前のこれは甘いものだ)を実際には働かせていない状態として、アクラシアを分析した。知識の所有と、その知識を今まさに用いていることの区別によって、ソクラテスの主知主義とアクラシアの経験的事実を調停するこの議論は、今日の行為論・意志の弱さをめぐる議論の出発点であり続けている。
政治的動物としての人間
アリストテレスにとって倫理学と政治学は連続している。『ニコマコス倫理学』の末尾は『政治学』への導入をなし、徳の陶冶は良き習慣を育む法と制度を必要とするからである。人間は「ポリス的動物(ゾーオン・ポリティコン)」であり、共同体の外で自足しうる者は「野獣か神」のいずれかだとされる。彼はまた諸ポリスの国制を収集・比較して、統治者の数と統治が公共の利益に適うか否かによって国制を分類し、極端な民主政や寡頭政よりも中間層が厚い「ポリテイア」を現実的に最善の国制とした。他方で、奴隷制を「生まれつきの奴隷」の存在によって正当化し、女性の理性を男性より劣ったものとみなした議論は、彼の思想の時代的制約として批判される。
現代における復権
20世紀後半、G・E・M・アンスコムは論文「近代道徳哲学」(1958年)において、神による立法という背景を失った近代の義務論的な「べし」概念(義務・法則)が空虚な擬似概念に陥っていると批判し、代わりに人間の「開花・繁栄(フラリシング)」に基づく徳の心理学的探究へと回帰すべきだと訴えた。アラスデア・マッキンタイアは『美徳なき時代』(1981年)で、共同体の実践的伝統から切り離された近代的個人という前提そのものを批判し、徳を「実践」に内在する卓越性・人生の物語的統一・伝統という三層構造のもとに再定式化した。フィリッパ・フットとロザリンド・ハーストハウスは、徳を人間という生物種にとっての善き生の条件から捉える自然主義的な徳倫理学を展開している。
状況主義からの批判と応答
社会心理学の側からは、行動を規定するのは安定した性格特性ではなく状況要因であるという知見(ミルグラムの服従実験、スタンフォード監獄実験、急いでいるかどうかで援助行動が大きく変わる「善きサマリア人」実験など)に基づき、徳倫理学が前提する一貫した性格特性そのものが存在しないという「状況主義」の批判が提起された。これに対し徳倫理学の側からは、そもそも徳は稀にしか達成されない卓越性であって多数の被験者に見出されないのは当然であること、また実験が捉える短期的な行動と、長期にわたる実践的知恵の陶冶とは水準が異なることが反論として示されている。
隣接領域への展開
徳倫理学の枠組みは、規範倫理学の外へも広がっている。認識論では、信念の正当化を信頼性・知的誠実さといった認知的な徳から説明する徳認識論が展開された。ケアの倫理(ギリガン、ノディングズ)は、抽象的な原理よりも具体的な関係のなかでの応答性を重視する点で徳倫理学と親近性を持つ。アマルティア・センとマーサ・ヌスバウムのケイパビリティ・アプローチは、人が実際に「なしうること・ありうること」の幅として福祉を捉え直すもので、エウダイモニア論の現代的な社会理論への翻訳と位置づけられる。医療・法曹・技術者などの職業倫理においても、遵守すべき規則の列挙ではなく、その職業に固有の卓越性を備えた実践者の育成という発想が、近年広く採用されている。
代表人物
- アリストテレス創始者
紀元前384年 - 紀元前322年
古代ギリシアの哲学者。プラトンの弟子であり、後にリュケイオンを開いて逍遥学派を率いた。倫理学・自然学・論理学など広範な分野を体系化し、『ニコマコス倫理学』で行為者の性格の卓越性(徳)と中庸を核とする倫理学説を説いた。
- アヴェロエス(イブン・ルシュド)主要人物
1126年 - 1198年
12世紀アンダルス(現スペイン)出身のイスラーム哲学者・法学者・医学者。アリストテレスの著作に浩瀚な注釈を著し「大注釈者」と呼ばれた。アル=ガザーリーが『哲学者の矛盾』で哲学者たちの主張を論駁したのに対し、『矛盾の矛盾』でアリストテレス哲学を擁護し、両者の論争は中世イスラーム哲学における理性と信仰の関係をめぐる代表的な対立として知られる。西方ラテン世界にアリストテレス哲学を伝える上でも重要な役割を果たした。
代表書籍
- ニコマコス倫理学
- 矛盾の矛盾
他思想との関係
カント主義と対立する
行為者の性格の卓越性(徳)を倫理の中心に置くアリストテレス主義と、行為の普遍化可能性という規則によって道徳性を判断するカント主義は、義務論と徳倫理学という規範倫理学の異なる立場として対比される。
功利主義と対立する
行為者の人格的な卓越性を重んじるアリストテレス主義と、行為がもたらす結果の快苦計算を重んじる功利主義は、徳倫理学と帰結主義という規範倫理学の異なる立場として対比される。
ストア派と関連する
どちらも徳の涵養を倫理の中心に据える古代ギリシアの実践哲学だが、アリストテレス主義が中庸としての徳と外的善(友人・財産等)の一定の必要性を認めるのに対し、ストア派は徳のみを唯一の善とし外的なものを「無関心なもの」とみなす点で異なる。
儒家思想と関連する
どちらも個々の行為の規則適合性よりも、実践を通じて陶冶される人格の卓越性(徳)を倫理の中心に据える点で、東西の徳倫理学的な伝統として比較されることが多い。
イスラーム教がアリストテレス主義と関連する
アヴェロエスら中世イスラーム世界の哲学者たちはアリストテレス哲学に浩瀚な注釈を著し、理性と信仰の調和を模索した。アル=ガザーリーがこの哲学者たちの主張を『哲学者の矛盾』で論駁したのに対し、アヴェロエスは『矛盾の矛盾』で反論するという論争が、中世イスラーム哲学における代表的な対立として知られる。